回想録 第29話「高校生活の始まり」

私は、地元で2番目の進学校、県立北高校へなんとか合格し、晴れて高校1年生となりました。

友達のY子ちゃんと一緒に入学できないことが、とても残念でした。

北高校はその当時、ひとクラス40人、1学年6クラスで計240人、全校生徒数は720人の高校でした。

校則はわりと厳しく、週に1度、体育館で服装チェックがあり、女子はスカートの長さ(膝より下まで)、ルーズソックスの禁止(皆さんご存知ですか?このころに流行っていました!)、冬用のコートや体操着を入れるバッグの指定など、様々な決まりがありました。

私と同じ中学校から入学した子は少なく、ほとんどが市内の他の中学校から来た子たちでした。

ところで、私のアトピーの症状はといいますと、自然食を続けていたおかげで、ずいぶんと改善してきていました。

ただ、季節によっては症状が悪化することがありました。私の場合は、冬の乾燥する時期にかゆみが出てきました。

でも以前よりは、アトピーがひどいせいで、人と会うことがユウウツになることも減ってきていましたし、少しだけ自分に自信が持てるようになっていました。それは、私にとっては大変大きな変化で、とても嬉しいことでした。

さて、北高校の部活動は、特に運動部に力を入れていて、中でもその当時は、空手部が強かったようです。

私は、同じクラスのTさんに誘われ、廃部寸前だった、演劇部に所属することになりました。

部員は私を含めてたったの3人。私の担当は、役者ではなく、音響係でした。

演劇部の顧問は、A先生という英語(文法)が専門の男性の先生で、なかなかユニークで味のある先生でした。

A先生は、洋画、洋楽にとても詳しく、先生の英語の授業では、「これはね、すごくおもしろい映画なんだよ」と言って、授業中に何作も観せてくれました。

部活動では、音響係の私に1980年代の洋楽の名曲をたくさん教えてくれました。例えばケニー・ロギンスやブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、クイーン、サイモン&ガーファンクルなどの数々のヒット曲です。

先生が持ってきてくれるCDを、劇中の挿入曲としてピッタリのタイミングでかける役目は、劇を盛り上げるためにとても重要な仕事なんだ、と大変勉強になったのを覚えています。

活動は、秋の文化祭の発表に向けてのんびり練習をしていたので、毎日ではありませんでした。

そのため放課後は、ほとんどまっすぐ家へ帰り、ヴァイオリンの練習と学校の課題を何とかこなすことができていました。

しかし、それも最初のうちだけだったのです。

やはり、ある程度は名のある大学へ進学するための高校です。勉強がラクなわけがありません。

もともと勉強をする習慣があまり無かった私は、ヴァイオリンと勉強、のちに音大受験のために始めるピアノの練習との両立に、たびたび苦しむことになるのでした・・・。(つづく…)

第30話「高校の勉強と音楽」へつづく…

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